コウドウキロク

文学部卒オタク女の行動記録です。

文学部生の卒論体験記

と、いう名の懺悔の書です。

全方向にごめんなさいという気持ちしかない卒論の完成度だったので、後世の文学部生の反面教師になるべくここに反省を書いておくことにしました。

 

結果的に卒論は合格の判定をもらいました。…もらったんですが、自分自身で私の卒論に評価をつけるとしたら可燃ゴミの一言に尽きます。

ここに、1/15の卒論提出に至るまでの流れを時系列に従って振り返り、負の歴史を残しておくことで自分の罪と向き合いたいと思います、、、

 

あと最初にこれだけは述べておきますが、

もし、卒論やべーーーーって切羽詰まってこのブログを見に来た学部4年生がいるとするならば

「今すぐ卒論の執筆に戻って一文字でも多く書け!!!!!」

「とにかくクオリティとか内容とか考えなくてもいいから期日に間に合わせることだけを考えろ!!!!完成させることが一番大事だ!!!!」

とだけ伝えたいです。私もどうにかなったのであなたも先生に懺悔しながら頑張れ。院生は知りません。

 

 

 

▼6月:卒論を意識し始める

6月頭には就活が終わり、開放感に包まれる日々。

ずっと悩まされ続けた重荷がひとつ肩から降りて、毎日こころゆくまで寝たりゲームしたり、ダラダラ生活。

 

しかし、もともと6/28が卒論題目提出締め切りに設定されていたので、就活の終了とともに今度は卒論に頭を支配される日々がスタートしました。

 

※卒論題目締め切りとは※

自分の卒論のテーマ・タイトル(いわゆるお題目)と指導担当してもらう教員を、所属学科に報告する締めきりのことです。

私の学科はゼミというものが存在せず、どの先生にも質問に行けるというフリースタイルなので、卒論を指導してもらうために自分で教授陣に相談しに行かなくてはなりません。(「ゼミ」はないけど、代わりにゼミ形式で調査・発表する「演習」という講義が1年生のころからある、ちょっと特殊なスタイルでした)

 

で、6月末が締め切りということもあって、5月下旬くらいには演習の時に教授から「卒論のこと考えてますか?」と尻を叩かれ始めました。

 

教授のアドバイスによると、

 6月:論文をいくつか読んで研究の余地があるか検討し、テーマを決める
 7月:先行研究をとにかく調べて読み知識をつける
 夏休み:データ採集→分析などの作業を開始して研究を進める
 10月:進めた研究をまとめてある程度の結論を見通し、中間発表に備える
 11月:中間発表で得た指摘をもとにブラッシュアップする
 12月:実際に執筆にとりかかる
 1月:提出

というプロセスを踏むのが(うちの学科のスケジュールにおける)卒論の安定進行らしいです。

卒論書き終えた自分からすると、「教授のアドバイス通りのスケジュールで意地でも遂行すべきだった」という一言に尽きます。ほんとにこれくらい継続的に、計画的に、コツコツと進めていれば絶対卒業の危機とか感じなかったしもっといい卒論が書けた。

スケジューリングに関しては、論文を書きなれている教授のアドバイスが絶対参考になると思うので、まずは取り掛かる前に相談するのがいいと感じました。

せっかくアドバイスくれたのに全然実行できなかった私が悪いです、N先生ごめんなさい

 

で、6月は中旬くらいから卒論のこと考え始めた。

自分は文学部で日本語学を専攻していて、その分野はN先生とF先生の二人しかいないので、自分の興味のある内容をリストアップして両方の先生に「どのテーマなら卒論として成立しそうか」を相談しに行った。

けど、実際は相談行くのも腰が重かった。「卒論のテーマ相談しにいかないとやばいな」って言って普通に5日くらい過ぎたし、教授に「卒論の相談行く行く詐欺」してたからN先生に会ったときに「(明日こそ相談来るって言ってたけど)頼みますよ!!」って念押しされた。

なんか、教授に相談にいくハードルが高くて、「○○を調べたら」「先行研究読んでから」と、何かと条件をつけて先延ばしにしてたんですよね。先延ばしほんとよくない!!!結局条件をつけても、その調査自体にとりかかってないので永遠に相談に行けないだけになるんですよね。「そのレベルで相談来たの??」って言われてもいいからすぐに動くべきでした。(卒論のテーマ自体は6月に提出したものから最終提出まで自由に変更することができるので、テーマ決めという工程を楽観視していたのも先延ばしの要因かもしれない。卒論を楽観視すな。)

 

すでに卒論のこと考えると気持ちが重くて、「自ジャンルの考察で卒業させてくれないかな…」とか考えてた。結局先延ばしに先延ばしを重ね、期限ぎりぎりにめっちゃ大雑把で曖昧なタイトルを報告しました。

 

 

▼7~8月:大サボり

7月の頭くらいはね、卒論頑張るぞ~~~って思ってたし、先生のアドバイスに従って先行研究頑張って調べるぞ~~~~と思ってたんですよね。

思ってただけでした。行動がひとつも伴いませんでした。

 

相談した二人の教授にも「――っていうテーマでいきます、7月は先行研究たくさんよ読んで頑張るつもりです」って宣言したはずなんですけどね~~~~~~

ピノキオなら鼻伸びすぎて壁貫通するレベル。

 

7月、マジで何もしませんでした。進捗ゼロ

8月、さらに何もしませんでした。進捗いまだゼロ

 

「やらなきゃなあ」と思いながら逃げ続けていただけの日々でした。やらないといけないことは理解しているのに動かないから、自分がいかにダメ人間であるかをよくよく思い知ってさらにモチベ低下するという悪循環。

これは卒論提出するまで永遠に断ち切ることのできない問題でした。

 

 

▼9月:さすがに何もやらないことに焦る

自分の堕落っぷりに絶望したので、さすがに卒論に向き合うことにしました。

ちなみに10月末は中間発表があります。進捗ゼロです。やばい。(当たり前)

 

テーマに関する先行研究を再度きちんと洗い出し、その膨大さに「自分のテーマ壮大すぎて問題点が絞り切れない」ということに気づきます。

そこで、卒論のテーマを文法のレベルからひとつの単語に決めて絞り込み、もっと具体的に調査をすすめられるように変更しました。絞った結果、直接的な先行研究はひとつしか存在しなくなったので、その論文を読み込んで問題点や疑問点を洗い出し、そこから調査の方向性や目的、明らかにするべき内容を決めました。

 

それを踏まえてN先生に久々に相談に行き、中間発表までの見通しを報告したところ、「多分その通りに進めることができたら、中間発表には間に合いますね」

との後押しをゲット。(これにより慢心します)

余談ですがこのN先生、研究室にお邪魔すると毎回「卒論は体が資本ですからね」って青汁とか野菜ジュースをくれるので愛おしすぎた。

 

 

9月末はなぜかモチベが復活し、データを集めたり調査を勧めたりとこまごまとした作業を勧めました。現在進捗15%くらい。

 

 

▼10月:中間発表

※最初に補足※

自分のテーマ的に指導はN先生中心になるのが理想。

だけど、N先生は大学の制度上、10月からの半年間生徒指導を受け持たない研究期間を取得することになったので、F先生からも直々に「N先生のお手を煩わせないように!!!卒論指導は私が引き継ぐのでしょーもない質問は絶対しに行かない事!!!」と、日本語学専攻の学生全員に釘を刺される。N先生は卒論指導する気満々だけど、なかなか大っぴらには行きづらい状況に。

 

10/29、中間発表が予定されているので、まずはそこから逆算してやるべきことの計画を立てました。

けど、こんだけ先延ばしにした人間が計画通りに進められるわけないんだよな!!!

 

言い訳だけしておくと、計画通りにはいかなかったけどぼちぼち…研究は…してました…が、途中から自分の卒論けっこうやばいな?って考えに頭が支配されて、いざ卒論やろうとすると動悸と吐き気が止まらなくなる拒否反応が出始めてさらに嫌になった。何もかも先延ばしにしてるせいだよ!!!!!

 

でも、11日と18日にF先生に中間発表の方針の相談に行ったところ、「そんな感じでいいんじゃない?あとはもう中間発表当日に聞くだけで充分ですね」みたいなOKをもらってしまい拍子抜け。「えっそんなにチョロくていいんですか?」って思う。

自分の研究があまり芳しくない引け目から、N先生に相談に行くのを控えていたのですが、23日に意を決して「来週こんな感じでいきます…」と報告しに行ったところ、先生は「誰も卒論の相談に来ないんだから…」と拗ね気味だった。

N先生に対して「中間発表終わったらもっと相談に来ますので…」って言ったけど、その後私の卒論は最悪の展開を迎えるので、提出まで2度と顔を合わせることはなかった。

N先生、本っっっっっ当にごめんなさい。お望みならばスライディング土下座もします。

 

で、なんか謎に「中間発表はその日の20分間耐えれば終わるしな…」って開き直って普通にサボる。なんか髪とか染め直しに行く。バカか

28日のお昼になってやっと明日の中間発表のレジュメ作成にとりかかる。

案の定終わらなくて、大学の演習室で徹夜し、レジュメが完成したのは29日当日の朝7時。(発表は11時ごろからだったけど、レジュメを朝10時半には印刷した状態で会場に置いておかなくてはいけなかった)

 

中間発表はめちゃくちゃ緊張しました。形式としては、学科の教授陣オールスター勢ぞろい&後輩の観覧自由(むしろ見学が義務)という環境の中、10分間レジュメを使って発表し、10分間教授からの質問に公開処刑で立ち向かうというもの。

結局何もわかってないし研究始めたばっかりだってことは自分が一番理解しているからこそ、死にそうなくらい緊張した。

現代日本語を扱っているので学科のお歴々にはテーマがピンとこなかったらしく、興味なさそうに発表を聞いている姿を目の当たりにして拍子抜けしたし、なんか残念でもあった。N先生は中間発表への出席を許されなかったので、担当のF先生の質問にただ答続けるだけの10分間。

 

私の発表を聞いていた同期から、後に「先生からの質問にあんなにハキハキ答えられてすごいな~~ちゃんとやってるんやなあ」みたいな事言われたけど、もうその場しのぎの返答を頭よさそうなフリして喋っているだけなので全然そんなことはない。むしろ、同期の発表を聞いて、みんなしっかり卒論に向き合っているという事実を目の当たりにして、自分は何をやっていたんだ…と呆然とした。

 

話はそれるけど、中間発表のレジュメは自費で用意することになっていて、両面刷り2枚×70部みたいな地獄の印刷をおこなったけど、天気も悪かったし発表聞きに来る人が少なすぎて半分以上余った。私の金…………むなしすぎる

 

 

▼11月:やっぱだらけるよな

結局、中間発表で大恥をかくこともなかったし、無難に乗り切って今後の方針もある程度決まったので、ここで慢心タイムがふたたびスタートする。

 

中間発表からの開放感と、週末に東京へ遊びに行く予定があったこともあり、秘儀「来週からがんばる」を発動させてしまう。これを2回繰り返したので、中間発表終わって約3週間、無の時間が発生する。

この間、N先生にもF先生にも相談にはいかず…

N先生が4月ごろに「とにかく相談に来てくれたらいいんですよ。経験上、相談に来ないってことはやってないってことなので。」と言っていたけど、本当にそう。

相談に行くために何か準備しないと…という目先の義務感で卒論への意欲湧いたりするし、先生と話すだけで焚きつけられて進むこともあるので、マジで早めに相談に行っておくべきでした。一回行かなくなると次も行きづらくなるので負の連鎖だった。

 

で、11月も中旬を過ぎ、やっと焦りを感じて再びとりかかるように。

夜に調査スタートしてそのまま朝5時まで突っ走り、その勢いで第五人格の朝ラン行って終わったら寝る生活を繰り返した。おかげで第五人格は鯖段位の自己ベスト更新しました。

あと、これくらいの時期になるとバイト先の同期も卒論に追い込まれる時期で、バイトに行っては同期たちの頑張りを目にし、自分は何を…と思う日々が続いた。

 

 

 

▼12月:大詰めとはいかに

一応、12月中に卒論の第一稿を書き上げて晴れやかな気持ちで年越しを迎えたいという気持ちはあったので、12/15までには調べ作業終えたいな―――という気持ちはあった。気持ちだけは。

まあ無理でしたね。

 

12月に入るとF先生の方が生徒より危機感を持ち、「最近相談に来る人少ないですけど調子はどうですか?12月中には必ず1回は相談に来てくださいね!」という催促のメールが届く。それにより、デッドラインの近さにようやく気付く

 

ここら辺、まじで、焦ってて、余裕なくて、記憶にございません

 

多分F先生のもとに2回くらい相談に行った。

1回目は久々だったので現状の共有くらいで終わった気がする。その時に、卒論書きあがりますかね…心配なんです…って言ったら「えーーーっあなたなら大丈夫でしょ!あなたの卒論はそんなに心配してませんよ!」って返されて、私のことも心配してよ…ってメンヘラムーブかましそうになった記憶がある。そしてこのF先生の発言でめっちゃ慢心する。

2回目(クリスマス付近)に頑張ったけど芳しくなかった調査結果を持って行ったら割と突っ込まれて、うわ~~~どうしよ~~~って思う。不安定すぎて「卒論書ける気がしないんです…」って研究室で泣き始める。めっちゃ精神状態心配された。年末年始の帰省はしたかったので、「帰省先にPC持って帰ってお正月の間に卒論あらかた書き切ります!!」と宣言して帰る。

 

 

が、また頑張れないんですよね。卒論書かないと卒業できないことなんて十分理解してるのに、どうしても動けない。

この時期、病的なまでの先延ばし癖がありました

今までの大学生活の中で、演習発表を直前ギリギリになってから準備しても上手くいったという成功体験もあるし、ここまで授業評価も良かったから今回もどうにかなるという根拠のない自信、やってもやっても芳しくない卒論の進捗への漠然とした不安などなどなど、いろ~~~んなものが混ぜ合わされて、最終的に自分史上最悪の先延ばし&逃げの姿勢が出来上がっていました。今思い返すと本当に病的だったと思います。

だから、年末もバイト行って帰って卒論のこと考えて鬱になって寝るだけを繰り返しました。

 

 

▼1月:本当の意味での大詰め

というわけで帰省中も実家にノートPCとクソ重い文法書や研究書を持って帰ったわけですが、お正月のムードにほだされて、これらを活用した=卒論に取り組んだのは5日間中わずか5時間という無様な人間が完成していました。

もう研究とか一旦置いて、帰省から帰った一週間でとにかく文章を書いて、そこから残された時間でどうにかブラッシュアップして提出すればよい、と計画。お正月の間サボるけど後で頑張るから、って言い訳してました。(事前にサボった後の計画を立てるので、なんかいけそうな気がしてしまうのがさらに悪いところ)

今となっては、そう思うなら一刻も早く卒論書き上げて、ブラッシュアップの時間を少しでも長くとれるようにするべきだと思うんですけどね。バカですね。

 

で、お正月を満喫して、さあ卒論ラストスパートがんばるぞ~~~!!となったわけですが、、、やはり世界はそんなに甘くなかった。

帰省から下宿に帰ってきたタイミングを見計らうかのように、風邪をひいてしまったのです。私は年に1回ほどしか風邪をひかないのですが、よりにもよってこんな時期に………しかもこの風邪、こじらせます。熱が出るわ、鼻水止まらんわ、声は出んわ、全身の疲労感がすごくて寝ていることしかできないわ……しかも薬を飲んでもほんとにスローペースでしか回復しない。インフルエンザではなかったのですが、ここ2年くらいの中で一番症状が重かったです。

 

この風邪によって、頑張るはずだった1週間の半分を失います。半ば諦めモードに。

内定先も決まってるし「卒業しなきゃ」という気持ちはあるけど、もうどうあがいたって無理じゃない?このまま卒論書けずに私の人生終わっていくんか~~親にどう説明しような~~こんな娘でごめんな、、、とぐるぐる考えることしかできなかった。

 

正月明けから音信不通になっていた私を見かねてF先生が心配のメールを下さり(聖母…)、人前に出れるほど体調も回復したので提出期限3日前に相談に行くことに。

この時点で、私の卒論はたったの7ページ(提出には最低16ページ満たさなくてはならない、しかもまだスッカスカ)しか書けておらず、F先生から「えっヤバいんじゃない?」とマジのトーンで言われる。そりゃそうだ。

その後先生からものすごく励ましてもらい、「とにかく全文書き上げます!!!提出までに見てもらいたいです!!!」と息巻いて帰る。

 

そこから残りの2日間、地獄。

1日目でとりあえず今まで集めてきたデータや考えをザ―――っと並べ、どういう風にまとめて文章化するかの筋道を決め、2日目からとにかく文字数を増やして増やして16ページにたどり着く作業を進めました。2日目は寝落ちてしまった時間帯もあり、実際に下限のページ数を満たすことができたのは卒論提出日の朝5時!!!!死ぬ気でした。この死ぬ気をもっと早くから出せなかったのか。途中から書く内容は水道水よりも薄いし、書きながらわけわかんなくなってくるし、小泉進次郎構文になってそうだし、完成してなくてもクソ論文だってわかる。でも書かなくては。頭がおかしくなりそうになったら「Life Will Change」と、「あゝオオサカdreanin'night」を大音量で流しながら歌ってすっきりしてた。この2曲、早口で歌ってると楽しくなってきて気分転換できたので卒論中にまじで助けられた。

最終的に、私の卒論が完成したのは提出の2時間前でした。先生に推敲してもらう段階にすらたどり着けず、自分でただただ書きなぐった文章を印刷して提出するしかない状況。でも、「とりあえず卒業するためのスタートラインには立てた…!」という安堵感に包まれました。

 

「学部生の卒論は参加賞、出すことに意味がある」

「内容はゴミでもとにかく提出する!!形のないものに単位はでない!!」

という、フォロワーからの激励の言葉を頭の中で何度も反芻しながら駆け抜けた2日間でした。本当に提出できてよかった。追い込まれた人間の底力をみました。こんな形で見たくなかったけど。

 

 

▼余談:口頭試問

提出しただけでは卒論は完全終了しなくて、口頭試問というラスボスが存在します。

学科の先生全員がいる部屋に1人で趣き、そして囲まれて、自分の可燃ゴミに対する指摘を頂戴する魔の30分。ちなみに、ここに合否判定が存在し、口頭試問で不可になった場合は今年の卒業はできません。

自分の卒論が到底見れたもんじゃないことは理解しているので「もう切腹用の脇差準備した方が早いかもしれん」と思っていたし、口頭試問で落とされる可能性も十分あったので当日の朝は異常なまでの吐き気と腹痛に襲われて本気で死にそうになった。

 

まあ案の定、F先生を始め数名の先生に手痛い質問や指摘をされてボロッカスでした。

論の流れのその場しのぎ感は否めないと言われ、ぐうの音も出なかった。最低限、体裁だけはキッチリと揃えておくべきだと思ってたから印刷前に確認したはずなのに、後日見直すと揃っていない部分が多く存在して、これも口頭試問でたくさん指摘されました…。余裕を持って書いていればそんなミスには気付けるはずなので、ギリギリで書き上げるリスクをここでも理解しました。

 

私のゴミカス卒論はゴミカス卒論としてしかるべき末路を迎えたと思うし、もはやいくら仕事とはいえこんな可燃ゴミを教授に読ませたことが大罪に思えて、申し訳なさでいっぱいだった。

 

 

ただひとつ、意外なこともありました。F先生が試問の終わりに、

「下と比べて発言するのはよくないかもしれませんが、査読を受けて研究者が発表するはずの学会でも、あなたのものよりひどいレベルの論文はそこそこの数存在します。それらと比べると、始めて書いた論文にしてはよくやっていると思います。今後もこのテーマについて考え続けて、何か新しいことが分かればぜひ教えていただきたいところです。」

という、お褒めの言葉と最大限のフォローをくださったのです。

私は、自分の論文に対して怒られる・呆れられる・痛いところを抉られることはあれど、褒められるなんて全く予想もしていませんでした。そのため、試問でどんな指摘やどんな質問が来てもダメージは少なかったのですが、このあたたかい一言に驚き感動のあまり試問の最中に泣きそうになりました。ほんとに心が効果音を立ててギュンッって動きました。

 

 

そして、そんな口頭試問の結果、私のクソ論文は合格でした。

卒論、間に合わせることができてよかった………!!!

ちなみに、卒論を提出した同期は全員合格しましたし、逆に提出することのできなかった同期は(当たり前ですが)不合格となり今年度は卒業できないこととなりました。

本当に、とにかく形のあるものを出すことって大事。それを実感しました。

 

 

※余談の余談※

口頭試問の次の日に追いコンがあって、F先生とお話する機会があったのですが、

  • あなたの論文は、先生方の中ではそれなりにいい評価だった
  • でも、あなたの実力はこんなところで留まるもんじゃないのに、他の先生方にそれが伝わらない論文になってしまったことが本当に悔しい。もっとできたでしょう。
  • N先生も卒論は読んでいるだろうし、最後に感想を聞きに行くくらいのことはしてほしい

というような事を伝えられました。生徒に対して不必要なお世辞を言うような方ではないので、他の先生方の評価が良かったというのは意外。そして、「それでもあなたの実力が伝わり切っていない」とあんな論文を書いた私を評価して悔しがってくれる姿を見て、なんかとんでもないことをしてしまったなあ…と深く後悔しました。そんな期待に応えられなかったことが申し訳なくて、自分が頑張らなかった過去を恥じました。

 

 

 

まとめ

卒論はとにかく書いて出したらなんとかなるし、人は追い込まれたら卒論もどうにかできる。

けど、だからといってサボっていいわけではなく、4年間の集大成としてふさわしい努力を続けて成し遂げないと、心にわだかまりが残ることになる。

 

これが、「卒論」という存在に対して得られたこたえです。

また、個人的に学びもありました。

 

それは、「自分には病的なほどの先延ばし癖がある」ということを自覚できたこと。

今までの人生の中で、自分の先延ばし癖について意識したことはなく、むしろ計画的な人間だとさえ思っていました。でもその計画性は、他者との相互監視の関係の中で連体責任的な束縛がある状況下で発揮される、限定的なものだったのです。卒論は、書けなくてもクオリティが低くても、自分自身にしか影響を及ぼしません。「誰かに迷惑がかかる」という意識があれば私は計画的にがんばれるけど、そうじゃなければ流されやすくて自分に甘い人間なのです。この事実は、卒論を通して初めて気づくことができました。

先延ばしにしたところで真綿で首を絞められるようにじんわりと苦しい状況が続き、自分の自信も失うだけだということも体感したので、「自分のことは先延ばしにしがちだ」ということに自覚的になり、さっさとやるべき事を済ませてしまうよう意識するきっかけができました。(この記事もその賜物です。意識しなければ結局書かずに終わっていたでしょう)

 

 

卒論は、すでに思い出したくない記憶になっていますが、自分の一面を嫌というほど理解することができた点には感謝したいと思います。

もう二度と書きたくないですが、生まれ変わって人生をやり直すことがあれば、次はもっと素晴らしい論文を完成させると決意しつつ、頑張れなかった自分を忘れることなく生きていきたいと思います。

 

 最後に、ご指導いただいたN先生、F先生、そして私の卒業を心配してくれたすべての方へ、本当に申し訳ありませんでした!!!!!!!!!!!これからはもっとまともな人間になります!!!!!!!!!!